〜退任の挨拶〜
「9年間お世話になりました」
| 自立生活センター・あるる 東谷 太 | |
「アドボカシーってアボガドの親戚?」というのが、僕がピア大阪の準備会に関わり始めた頃の知識でした。19歳で障害者になり、7年間の寝たきりの苦しい生活を経て、ようやく動き始めた頃に出会ったのが、ピア大阪の前身である「自立生活センター研究会」でした。それまで障害者運動というものには無縁の生活だった僕にとっては、飛び交う言葉のほとんどが“ちんぷんかんぷん”でしたが、毎回の会議に参加するのは楽しみで、みなさんにいろいろと教えて頂いているうちに、すっかり自立生活センター(自立生活運動)の虜となっていきました。「障害者の権利」とか、「障害者のままでええんや」なんてことは、19歳まで健常者として生き、健常者社会の価値観を持ち、そのために障害者になってから苦しんでいた自分には無かった衝撃的な考え方でした。そのような自立生活運動であるとか、自立生活センターの考え方に深く触れていくうちに、「自分の進む道はこれだ!!」と強く思うようになり、ピア大阪で働くようになりました。ピア大阪での9年間は、決して順風満帆なものではなく、当事者の主体性をめぐって苦悩し、平下君と二人、夜中に近くのガソリンスタンドで涙したこともありました。でも、そんな時にいつも支えてくださったのは運営委員のみなさんであり、僕たちを訪ねてきてくれる障害者の仲間でした。実際、ピア大阪というのは、そうした、運営委員や関係機関のみなさんや利用者一人一人の支えがあって成り立っているものだと強く感じます。
ピア大阪が設立された頃は、大阪で自立生活センターはピア大阪だけしかなく、何事も手探りで作り上げていくしかないという状況で、「ピア大阪って何してくれるの?」とよく言われたものです。そんな中で地道に取り組んでいくうちに、ピア大阪も知られていくようになり、自立生活センターというものの認知度もあがっていったように思います。また、1996年に打ち出された市町村障害者生活支援事業により、大阪にも次々と自立生活センターが立ち上がっていきましたが、そこでも、ピア大阪が果たしてきた役割は決して小さくはなかったと思っています。2003年度から、市町村障害者生活支援事業が一般財源になり、この事業の存続も危ぶまれている状況になった今、ピア大阪が果たさなければいけない役割も大きくなっていくと思われます。これからは、新しい当事者スタッフの西留君と三井君が中心となって、新たなピア大阪探しをしてくれると思うので楽しみにしています。
僕はこの9年間、いろんな人との関わりの中で多くのことを学び、いろんな経験を通して成長することができました。その経験を活かして、これからは都島区にある「自立生活センター・あるる」で頑張っていきたいと思いますが、ピア大阪とあるるの役割は違っても、その目的はただひとつ、障害者が地域でいきいきと誇りを持って生きていくことを支援し、広めていくことだと信じています。
9年間お世話になり、ほんとうにありがとうございました。これからも、ピア大阪や多くの自立生活センターともどもよろしくお願いいたします。