新連載企画!!

「私にとっての障害受容」〜パート3〜

 障害者自立生活センター・スクラム
障害者自立生活支援センター・いきいき

 谷口 由里子さん
 当事者なら障害があることで一度は悩みしんどい思いを抱えたことがある人は多いと思います。障害受容ができにくい理由は人それぞれですが、何かをきっかけにもっともっと自分を好きになって楽しい人生を送ってもらいたいという願いを込めて『ニュースドリーム』では当事者の方々の障害受容をめぐっての連載をしていきます。第3回目は障害者自立生活センター・スクラム、障害者生活支援センター・いきいきで活動されている谷口由里子(たにぐち・ゆりこ)さんです。
プロフィール
谷口 由里子(たにぐち ゆりこ) 障害:視覚障害1級

障害者自立生活センター・スクラム

障害者生活支援センター・いきいき

特徴:赤フレームのメガネ
趣味:面白おもしろいものを見みつけること、友達をつくること、カラオケ(行きたいなぁ…)
家族:面白い夫とかわいい娘(2歳2ヶ月)
その他:現在、障害をもつパパママのネットワークづくりに励んでいます♪。

あきらめの受容から、前に進ための受容へ
 障害を受容する、そのゴールはどこにあるのでしょうか。どうなれな障害を受容したと判断できるのでしょうか。その答えを出すのはあまりにも難しく、また答えなんてないような気がします。私はきっと、まだまだ受容なんてできていないのだと思います。 
画像:谷口さん  私は生まれつきの「網膜色素変性症(もうまくしきそへんせいしょう)」という進行性の難病と共に育ちました。もともとそんなに見えてはいませんでしたが、ある程度の日常生活は自分でこなせるぐらいの弱視で、小・中・高と地域の学校で楽しく勉強(うそです、ほとんど勉強していません。笑)し、芸術系の短大へ進学したころから自分の視力の限界を知ることになりました。徐々に視力が低下し、視野が狭まり、私の世界から光と色が失われていく中で、それと並行していろいろなことができなくなっていきました。自転車に乗れない、得意だったイラストが描けない、大好きなマンガが読めない、仕事で使う端末の画面が見えない…etc(エトセトラ)。でも何かできなくなる度に少しずつ生活スタイルを変えて、できないなら次、行ってみよう!と割とすんなりと受け容れていたような気がします。
 でも、健常者として育った私にとって、障害が進行するというのはただ単にできなくなることが増えるだけでなく、見えなくなっていろんなことができない自分の存在が恥ずかしいと思うようになり、その時期が一番しんどかった気がします。友人と出かけた時、その友人が周りから変な目で見られているんじゃないかと思って白杖を折りたたんでバッグにしまったり、手引きしてもらうことで相手が負担に思っているんじゃないかと悩んだり。結婚や子育てについては論外で、自分には関係ないことのように思っていました。自分が障害者であることはある程度納得し受け容れている、ただそれは「あきらめの受容」だったのかもしれません。自分から壁を作り、「これは私にはできないからあきらめて次、行ってみよう!」という感じだったのかも。
 そんな自分に自信を与えてくれたもの、それは単独歩行の訓練とピアカウンセリング、そして夫です。歩行訓練とピアカウンセリング、それは対角にあるもののようで、実は私のような中途視覚障害者にとってはどちらも欠くことのできないエンパワメントの最良の方法だと、個人的には思えます。そして夫の存在は、私に「結婚」や「子育て」というこれまで私にとって非現実だったものを現実のものとして私の未来の先に描いてくれました。この人とずっと一緒にいたいな、子供が生まれたら楽しいだろうな、と自然に思えたその瞬間から、「あきらめの受容」は「前に進むための受容」に変化していきました。何もかも自分でがんばる生活から、危険を伴うことや時間がかかりすぎることについてはヘルパーを利用するなど、それまで多少抵抗のあった障害者としての生活へと少しずつ変化していき、彼とともに生きていくための力を身に着けていったのです。
 そして結婚、2005年夏には待望の長女を出産しました。何もかもが輝いて見えるような毎日。しかし前に進むための受容をしていく過程はかなりの痛みを伴います。障害者が結婚し子供を生み育てることへの周囲の反応は、良いものばかりではありません。彼の家族の戸惑い、産婦人科で受けた人権侵害、障害者の育児制度の欠乏など。また育児の面では、それまで障害が故に落ち込むことなど大してなかった私ですが、娘が成長するにつれてさまざまな問題が出現し、そのつど、目の見えない自分と対峙し葛藤し、落ち込み、はい上がる、そんなことが繰り返し波のようにやってきました。例えば、赤ちゃんの顔が見えないこと。以前は明るい場所でならたいていのものは見えていたのにもうぼんやりとしか見えなくてちょっと寂しい。でもそれよりも周りから「見えなくてつらいね」などと言われることが悔しい。自分はそれほどでもないのにそんなにつらそうに見えるのだろうか、想像だけで言わないでほしい。それから離乳食を上手に食べさせられなかったこと、スプーンが口に入らなくて泣かれ、何だか情けなくなって自分も泣いてしまったり。おしりがうまくふけなくて、バタバタ暴れる娘を強くしかってしまって後悔したり。洋服を着せるのをもたもたしていて途中からヘルパーさんが見かねて先に着せてしまってすごくへこんだり。数えればきりがないぐらい、ただの母親の悩みとは違うつらさが私の子育てにはあります。そして一番の問題が、一人で娘を連れて歩けないこと。私だけなら一人でどこへでも行けるのに、子供を連れて行くには街中はあまりにも危なくて不安。ガイドヘルプを利用するにしても保育所の送り迎えは制度上できず、そういう面で非常に使いづらい。家族三人で出かけることもあるのですが、夫は私の手引きをしながら娘を連れて歩いたり抱っこしたりで体力的、精神的にかなり負担をかけてしまっていたようです。夫の希望でヘルパーと一緒に四人で出かけてみましたが、ヘルパーさんとはいえ他人が入ることで家族のお出かけの雰囲気が壊れてしまってどうしても心から楽しむことができませんでした。また夫への負い目から、私は夫と娘から離れて行動したほうが彼らにとって負担が軽くなる、私が率先して娘と遊ぶことは彼らにとってしんどいことだと思い、自然と彼らから離れてヘルパーさんと二人で歩いていました。私の目が見えていれば、普通の家族のように三人でどこへでも行けるのに、いっぱい遊べるのに。そんなことばかり考えて、落ち込み、嘆き、自分の存在を否定し続けました。何度かの葛藤を繰り返し、その度に夫とぶつかっては「受容できていない自分」に気づかされました。
 最近娘はよく家の中で、小さなバッグにお金のおもちゃやハンカチなどを詰め込んで「おでかけ行く〜。ママ、連れてって〜」と私の手を引っ張ります。どこかに家族で外出する時も「ママも行く?パパとママと三人で行くの?」と聞きます。夫は「当たり前やん、三人で行くぞ〜」と。私は愛する家族に、何をそんなに遠慮していたのでしょうか。娘も夫も私を必要としている。母として妻としての役割を果たしかねている私をちゃんと受け止めてくれている。彼らがいてくれるから、私はつまづきながらも歩んでいける。ガイドヘルプを使うにしろ使わないにしろ、私は家族とのふれあいを普通に主体的に楽しめばいいだけなのだと、今ごろになってやっと気づきました。  自分のことだけなら何でも受け容れ、前に進む自信はある、でも子育てとなるとそれは全く自分が経験し得なかった世界で、前に進むためには幾度となく繰り返される陣痛のような痛みをのりこえなければ一歩も進めず立ちすくんでしまうのです。でもその痛みは陣痛と同じ「幸せな痛み」です。自分のためだけではなく、娘のため夫のため、家族がいつまでも幸せでいられるために乗り越えていく痛みなのです。その幸せな痛みはこれから先、娘の成長に連れて続いていくでしょう。その度に受容できていない自分に気づき、また前に進む。
 障害を受容できていないことは、少しもおかしいことではないし、恥ずかしいことでもない、受容できていないからといって自分を見つめていないわけではない、自分と真正面から向き合いノックダウンされながら前に進んでいく受容のしかたもあるのだと、そういうのもけっこうかっこいいんじゃないかと今は思っています。  障害受容の海の中でもがきながらも前に進んでいく私、そんな自分が最高に愛しい。そして愛する家族と共に笑ったり泣いたりしていつまでも暮らしていけたら、これ以上幸せなことはありません。
END(エンド)


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