| 連載企画!! 「私にとっての障害受容」〜パート9〜 |
| 当事者なら障害があることで一度は悩みしんどい思いを抱えたことがある人は多いと思います。障害受容ができにくい理由は人それぞれですが、何かをきっかけにもっともっと自分を好きになって楽しい人生を送ってもらいたいと7回目の今回は京都ライトハウスに勤務されている野々村 好三(ののむら・こうぞう)さんです。 |
| プロフィール |
渕上 賢治 (ふちがみ・けんじ)1985年 交通事故により頸髄損傷 1987年 2年間のリハビリ生活を終え、退院 2002年 実家で介助者を使い生活を始める 2003年 障害者自立生活センター・スクラムとかかわる 2004年 自立生活を始める |
| 「私にとっての障害受容」 |
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この記事を書いてほしいと頼まれ了承したあと、自分の障害受容は「いつしたのか?」「どういう経験をして受容したのか」それとも「できたのか?」「できていないのか?」混沌とした思いを馳せながらも、自分の過去を振り返りつつ、文を書いていきたいと思っています。
プロフィールにあるように、十代のころオートバイ事故で頸椎の粉砕骨折と右前腕の粉砕骨折により、救急病院に搬送され、意識不明の状態が1週間ほど続いた。意識が戻り、状態が安定したところで、頸髄損傷患者が多く入院している枚方市の病院に転院することとなった。手術を行い、頭部に金属製のリングを4点のネジで固定され、体には樹脂で作られたベストを装着し、それらを左右2本の金属棒で連結されたまま、リハビリもできない状態で、半年間ベッド上で過ごす生活が続いた。 主治医から今後、事故の後遺症で体が動かなくなることを告げられた。受傷して間もない事や入院生活が大変で、その時は深刻に受け止めることも無く毎日が過ぎて行った。 首から下の自由が奪われ、健常者の頃のように身の回りのことが自分ひとりでは何ひとつできず、人の手を借りなければ生活できないようになった。
気管切開のため 喋ることもできず、体の自由も奪われ、付き添ってくれていた親に当たってばかりの日々を過ごしていた。
体に装着していた装具も取れ、車椅子にも座れるようになり、リハビリを受けられるようになった頃から、重度の障害を負い、体が動かなくなったことを重く受け止めるようになり、消灯時間が過ぎたあと病室の暗闇の中で独り考えるようになった。自分自身、障害を負うことで「人としての価値が無い」「人生が終わった」「なぜ、自分だけ」という気持ちが絶望的にしかとらえられず悲観的なそんな事ばかり思いながら入院生活を送っていた。
入院生活も二年が過ぎ退院の時期が迫り、病院から車椅子利用での住宅改修を勧められたが介助制度のわからない状態で、退院後の継続的な外出は考えられず、住宅改修も行わずに退院することとなった。 退院してから在宅での生活は、先行きの見えない、希望の持てない落胆した毎日で、近い将来施設に入り、そこでの生活が一生続くと想像していた。あきらめの気持ちでの日々が続き、目標もなく毎日ベッド上で何もすることができなかった。あるいは何もすることをせず、寝るだけの生活が十数年続いた。 長い在宅生活は外部との交流を遮断し、今振り返ってみると、身の回りのどうでもいいようなことに気を取られ、視野を狭いものにしていった。しかし、あることがきっかけで介助者を使うようになり、人とふれあうことによって気持ちを動かされ、それをきっかけに、堰を切ったように外出するようになった。
人ごみの中へ行っても、車椅子に乗った自分を「皆が見ているのではないか!」という思いに駆られていたが、外出を重ねていくうちに他人から見た自分は「障害者である」という周りからの眼も気にならないようになっていった。今、振り返ってみれば人と眼が合うだけで「視ている」と思い込んでいたが、実際には誰も障害者である自分の身体のことを気にしたのではなく、自分が障害者であることに負い目を感じ周囲の人の眼を気にしていただけだったと思う。
自立生活を始める数年前から、障害者自立生活センター・スクラムでかかわりを持つようになり、毎日のように電動車椅子に乗って就労するようになってからも、首から下の機能が麻痺しているために排尿、排便のコントロールができず、排尿のための留置カテーテルが詰まり、救急車で病院に搬送されることもよくあることだし、仕事中に失便をして急遽、自宅に帰ることもある。 一般的に排尿、排便のことを考えると、失便や失禁のことは誰にも知られたくない秘密な話であるが、私たち障害者の場合は健常者と同じ健康的な身体を持っているわけではなく、身体に「障害」を持っているわけで、自分の方から積極的に周りの人たちにそういう障害を理解してもらう事が大切なのではないでしょうか。 背伸びをして頑張ってもいつか限界が来る。何も健常者と同じでなければいけないということは無い。今はありのままの自分で良いと思うし、その身体とうまく付き合っていくことができる。障害者でも胸を張って前を向いて歩いていけば良い。 中途障害の人でいえば、人生の途中から障害者になるわけであり、突然障害者になった自分を受け入れろというのは難しい。だが、それを何年も何年も引きずって深刻に思い詰め、生活や行動を縛ってしまうというのは、考え方によっては、その人にとって大きな損失だと思う。 いろいろと考えることは決してマイナスではなく、人として大きく成長するために必要なことであるが、過度に考えすぎて日常生活に支障をきたしてしまうほど思い悩むより、前を向いて行動することが大切だと感じる。そうする事により新たな出来事や問題に直面し、今まで考えていた事がちっぽけでどうでも良く、気にならないようになるのかなと思う。 歳を重ねていけば、 やがて誰しもが障害者となる。ただ、僕の場合は、交通事故により障害者でない人より数十年ほど早く障害者に、あるいは車椅子常用者になったに過ぎない。そう考えれば、それはそれで受け入れられる。
介助者を使い仕事をしているが、時として壁にぶつかり「健常者であれば」「両手両足が自由に使えれば」と思うこともたびたびある。
健常者としての自分の記憶や経験、そして障害者としての自分の気持ちが頭の中で葛藤し、そうした中で今の自分がいるわけで、そんなことを考えても状況や状態が変化するわけでもないのに真剣に考えてしまう。十年後、二十年後もそんなことを考えているのかもしれない。というか、考えているだろう。 障害受容って、そもそもしなければならないものなのか!? できるものなのか…。障害を負って現在二十数年になるが、自分自身、障害受容をしているのか、いつできたのか? していないのか、自分でも模索中である。 |