連載企画!!

「私にとっての障害受容」〜パート12〜

当事者なら障害があることで一度は悩みしんどい思いを抱えたことがある人は多いと思います。障害受容ができにくい理由は人それぞれですが、何かをきっかけにもっともっと自分を好きになって楽しい人生を送ってもらいたいという願いを込めて『ニュースドリーム』では当事者の方々の障害受容をめぐっての連載をしています。第12回目の今回は自立生活夢宙センターで活動されている馬渡健二(まわたり・けんじ)さんです。    
プロフィール
写真:左手を後頭部に上げ、笑顔の馬渡さん(上半身) 馬渡健二(まわたり・けんじ)

  • 障害 脳性麻痺
  • 性格 いいかげん(漢字で良い加減)
  • 好きな食べ物 麺類全般、唐揚げ
  • 嫌いな食べ物 ない
  • 好きな言葉 いいかげん(漢字で良い加減)
  • ニックネーム ばけん

障害受容
私の障害は 脳性麻痺です。先天性の障害で両手が自分の思うように動かない、言語障害もあります。障害受容の話をする前に私の生い立ちを簡単に話します。

私は7歳から 34歳まで施設で生活をしていました。私が12歳の時に母が「面接に行って来るわ」と言ったきり蒸発してしまいました。その時の施設の指導員から言われた言葉が「ばけん、お前の障害は治らん。それを受け入れてこれから何十年とその障害と一緒に生きていかなあかんのや」と言われました。でもその頃の私はその言葉がどれだけの言葉だったのか、まだ子どもだったのでよくわからなかったのです。

それから数年経ち、 私も恋をしてようやく恋人ができ映画や買い物、旅行などあちこち行っていました。でもその頃は今のようにバリアフリーも整っていなかったので車椅子の私が行くことができるところが限られていました。恋人と付き合いはじめてからずっと私の胸の中にもどかしさがあり、そのもどかしさが徐々にたまっていき、2年か3年付き合った頃に恋人に対してもどかしい気持ちや申し訳ない気持ちがいっぱいになり死のうと思い、自殺を図りましたが軽傷ですみ、恋人に発見されてその時の恋人から言われた言葉が「もしこの世の中に神様がいてその神様が人間を作ったとしたら健二にはわざと障害を与えたんだと思う。なぜなら健二だったら障害があっても最後まで生きていく力があるから。だから健二は健二のままでいいと思うよ。歩けない、手が使えないことであたしに何も出来ないとか、あたしが行きたいところに行けないんじゃないかとか思わなくていいし、あたしは健二となら何をしてても、どこにいても楽しくやっていけるよ」と言われた時、胸の中の大きい荷物が壊れて楽になったのを今でも忘れられません。今考えてみるとその恋人の言葉があったからこそ障害受容ができたのかもしれません。

私が18歳から 34歳まで福岡の田舎のほうの施設に入っていました。その施設は18歳から65歳までの入居者がおり、脳性麻痺、頸損、脊損、片麻痺、知的、いろいろな障害の入居者がいました。その施設に入居して10年ぐらい経った頃からある疑問がわいてきました。その疑問というのは先天性の障害者より後天性の障害者のほうが障害を受容しにくいのではないかということでした。私たち先天性の障害者はその名の通り、生まれもっての障害者なので自分の手や足や、身体が自分の思い通りに動いていたことの記憶もないし、動かなくなった経験もないわけだから、自分の手足が自由自在に動いていた時と動かなくなった時のギャップがないわけで、そのギャップがない分、障害を受容しやすいのではないかと感じていたからでした。

でも、後天性の 障害者は中途障害者ともいわれるものなので、自分の手足が自由自在に動いていたという経験も記憶もあり、それらが何らかの事故や病気で180度変わってしまって気が付いた時には健常者の頃の自分ではなく障害者の自分になっていた、それを受け入れるということは並大抵のことではないと感じられ、よっぽど精神的に強くなければ障害を受容するのは難しいと思っていました。何人かの中途障害者にどうやって障害を受け入れたのと聞いてみると、やはり人それぞれの答えが返ってきて、「頑張ったら治ると思ってた」とか「受け入れられなくて死のうと思った」とか「自分が障害者になったことがわからなかった」などいろいろな答えが返ってきたのです。でも最後にみんなが言う言葉は「なったもんはしゃあない。考えてても治らへんし。でも生きてはいかなあかんやろうし」という言葉を聞いた時、私ならそんなに割り切れない気がしていました。

6年前に今の 夢宙(むちゅう)センターのサポートもあって自立生活を始め、今では施設生活の経験を生かして夢宙(むちゅう)センターのスタッフになり、一人の障害者の地域移行のサポートを行っています。よくうちの代表が「障害を受容して自分の障害をネタに笑いをとるぐらいの強さがないとCILスタッフは務まらんぞ」と言うのです。
 私もその通りだと思います。なぜなら万が一、障害を受容できていないままのCILスタッフがいたとしたらそれはすごく怖いことなのかもしれません。そのスタッフは当然自立支援も行っているだろうし、ピアカンも行うだろうし、そういうサポートをしていく中で障害受容の話もするでしょう。でもそのスタッフ自身が障害受容ができていないということは、すなわち障害はあってはならないということでそれは障害者はダメな人間だということになってしまうでしょう。そんなことを考えている障害者がCILスタッフで自立支援や地域移行などでいろいろな話をしても説得力がないし、「じゃああなたはどうなの」と言われた時に何も言い返すことができないと思います。
 CILスタッフがなぜ障害を受容しなければならないのかを考えた時、私はこう思います。施設にいる障害者や家族介護を何年も受けていていろいろな経験を奪われてきている障害者からCILスタッフを見た時に、外見や中身も含めてかっこよく元気でいきいきしていないと私はダメだと思います。なぜならCILスタッフがロールモデルにならないといけないからです。

写真:公園で電動車いすに乗りながら足を置石の上に上げ、語らう馬渡さんと3人の介助者の様子 最後に障害受容 とはその障害者が自分の障害を受け入れて地域で自分らしく楽しく生活していくことであり、そういう人を他の障害者や健常者が見た時に「あいつかっこいい」「ああいう生き方がしたい」と感じてもらえることが障害を受容したということになると思います。そういう障害者をもっと多く地域で生活できるようにサポートをこれからもしていこうと思います。


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