特集2
地域で生きる! 坂口登さんの暮らし


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 坂口 登さん

 1965年4月15日生まれの40歳。脳性マヒ1種1級。
 普段は住之江区北加賀屋にある「自立生活夢宙センター」で活動されています。

自立への道のり


 養護学校の存在を親が知らなかったため、入学が2年遅れた。堺養護学校に中学部1年生まで、中2から藤井寺養護学校に。そのまま高等部を卒業する。卒業後すぐ枚方のわらしべ園に、20歳から5年間入所した。それまでずっと親元で暮らしていたから、施設の暮らしは自分に合わなかった。25歳から2年間は実家に戻る。電動車椅子で一人で外出し、梅田や天王寺などの繁華街をブラブラしていた。27歳の時、そろそろどこかに通わなあかんかなと思って、区役所に相談して、作業所を紹介してもらい、8軒、実際に行ってみて、たまたま家の近くにあった「レインボーワーク作業所」に入った。作業所からたまたまピア大阪へ物品を売りに来たのが、平下さんや東谷さんとの出会い。その頃は自立体験室を利用することなどは全く考えていなかった。自立生活運動にも全く興味が無かった。何かの講座にも誘われて行ったが、ちょっと興味を持ったぐらいで、そのまま数年が過ぎた。その後、2年に一回ぐらい自立体験室を利用していたが、自立体験というより、介助者を伴っての外泊という感じだった。
 僕がピアスクールに3期生として入ったのが、97年。あんまりわからずに入ったけど、山浦さん達との出会いが大きかった。ピアスクールを終えて、そのまま「ぴあふれんず」に関わって、作業所に行きながらいろんな勉強をぴあふれんずでさせてもらった。
 平下さんが「自立生活夢宙センター」を立ち上げた2002年の3月、思いがけなく僕に一緒にやらないかと声をかけてくれた。まさか呼んでくれるとは思ってなかったので、嬉しい反面、不安もあった。作業所もちょっとずつ変わっていたし、僕自身も一歩新しいところで、新しいことをやってみたいなという思いもあった。作業所を辞めて、夢宙センターでやっていこうと決意した。最初、住之江区の夢宙センターに平野区の実家から通っていたが、3ヶ月後に、グループホームやべつ(平野区)に入居した。そこに1年7ヶ月いて、昨年の4月28日に東住吉区にマンションを借りて、一人暮らしを始めました。39歳の時です。


必要な介助と生活の様子

 食事、トイレ、入浴、移動、着脱、掃除、洗濯、買い物など日常生活全般に介助が必要です。電動車椅子で一人で外出してきましたが、今、二次障害のため、電動の運転も厳しくなってきています。調子が良ければ一人で移動しますが。
 食事は、朝食は僕の指示のもとヘルパーに作ってもらいます。パンとレタスとウインナーと玉子焼きとコーヒーが定番です。たまにポテトサラダやシーチキンが付きます。昼食は外食、夕食は買って帰ったり、食べて帰ります。朝食以外はめったに料理しません。
 入浴は全面介助が必要です。介助者は今のところは1名でいけています。夏場は毎日シャワーを浴びています。冬場の入浴は二日に一回程度です。
 泊まりの介助は通常入れていません。午後6時から10時まで介助者がいて、10時に帰ったら後は一人で過ごします。もっと支援費の時間数があれば、泊まり介助を入れて、もっと自分のしたいことをできるようになるのですけど。特殊なコップにお茶だけ入れてもらっておいて、後は自分で飲みます。朝、介助者が来るのは出勤する月・水・金と隔週土曜は7時、休みの火・木・日と隔週土曜は8時です。急に尿意を催した時は、寝転がって自分で尿瓶でしますが、失敗することもあります。泊まりの介助者を入れるのは、体調の悪い日とか、夢宙の派遣で東京に行く(支援費と介護保険の問題での全国行動など)時とか、夜に用事や仕事がある時だけしか泊まり介助は入れることができません。昼間の介助は、朝から、出勤日には午前10時まで、休みの日は午後3時か4時までです。
 その他、リハビリのために南大阪療育園に、毎週火曜と木曜の週2回行って、PTとOTからリハビリを40分ずつ受けます。
 家は、普通のマンションで、2DKです。トイレと玄関を改造しています。玄関は、「ケアガード」という自動ドアを付けています。風呂も改造したかったが、出る時に復旧しないといけないので、改造できませんでした。家の中ではだいたいソファーに座っています。そのままベッドにもなるソファーベッドを使っています。
 収入は年金と特別障害者手当と生活保護です。介助に充てるお金は他人介護料一般基準と支援費(日常生活支援180時間、身体介護を伴う移動介護51時間)です。


自立する時に苦労したこと

 自立する時に一番苦労したのは、家探しです。不動産屋さんに10軒行って、4軒は初めから話も聞かずに断られました。せめて、最後まで話を聞いてから断って欲しかったです。後の5軒は、僕の出した条件が合いませんでした。業者と借りるOKが出て、大家さんに話を持っていったら、障害者は危ないから貸せないと言われ、悔しい思いもしました。最後の1軒は、今住んでいる家を紹介してくれたところで、僕自身もある程度妥協をして、条件をちょっとずつ変えていって契約しました。障害者が家を探す時、設備の不充分さや、障害者だから火の始末が心配と断られたり、業者や家主が福祉制度にあまり理解がないことに困りました。
 自立してからは、光熱費がどれぐらいかかるかわからなくて、初めの2、3ヶ月は不安でした。経済的なことや介助の時間数のことやいろんなことが半年ぐらいはしんどかったです。でもそれ以降は、経済的なことも見えてきたし、介助者をどういうふうに使ったら良いのかもちょっとずつ見えてきました。自立してから、実家に帰る日はほとんどありません。年に1回ぐらいでしょうか。しかも日帰りです。実家に帰ると設備も不充分で、段差も多く、トイレも使いにくいです。親離れは、グループホームに入った段階で済んでいました。自分の家が一番リラックスします。
 びっくりした出来事としては、自立して11ヶ月目に自動ドアのロックが開かなくなって4時間ぐらい家に閉じ込められたことです。朝、8時に来たヘルパーさんも入れなくって、不安な時間を過ごしました。結局ドアの業者に来てもらってロックを解除してもらいましたが、既に僕はトイレを漏らしてしまっていました。

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登さん色はブルーでしょうか?
カーテンが涼しげでいい感じ

自立生活の喜び

 自分で何でも決められることかな。例えば、何でも買っていいし、何でも食べていいし、何をしても注意されない。施設みたいにプログラムが決まっていないので、自分で考えてやっていけること。自分の時間を持てるということが一番僕にとっては嬉しい。自立生活をしていたらしんどい部分もあるけれど、楽しい部分もものすごくあります。自立してやっと一人前の大人になれたかなと感じています。まわりもそういうふうに見てくれていると思います。自立生活して一番嬉しかったのは、部屋を自分の色に染められたということかな。


地域とのつながり

 自立してから出掛ける回数も多くなり、駒川商店街の店の人と仲良くなり、電気屋さんとか、駒川中野の駅員さんとも仲良くなりました。最近は、マンションの下にある美容院の人とも仲良くなりつつあります。やっぱり街の中に出ることによって地域とのつながりができつつあります。これからもどんどんどこでも出て行って、人とのつながりを求めていきたいと思います。


これからしていきたいこと

 一人でも多くの障害者が街の中でいきいきと暮らしていけるように夢宙センターで活動していきたい。僕が夢宙センターでやっていることを一人でも多くの人に理解していってもらいたい。僕自身、もうちょっと若い時に自立しておけば良かったなという後悔があるので、若い障害者ができるだけ若い時から自立を考えてもらえるようにしていきたい。


読者へのメッセージ

 これを読んで、自立には少しの努力と大きな喜びがつまっているということをわかって欲しいです。)




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